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2006年3月19日 (日)

秘伝

”秘伝”。それはある限られた人にしか伝えられない、秘密の方法や術。奥儀。何代も何代も、幾多の年月を乗り越えて守り続けられたからこそ、味わえる伝統。

昨日、紀州和歌山に足を運んだ。目的は一杯のラーメン。たった一杯のラーメンを食べたいがために、大学時代の食い倒れ親友Marchちゃんと二ヶ月前から企画していた。昼前に大阪駅で待ち合わせをして、電車に揺られてうとうと、よだれタラタラ一時間半。ラメーン求めて三千里。坊や、よい子で寝んねしな。今も昔も変わりなく。(変わりなく。)と口ずさんでよだれを垂らしてる間に到着。意外とチカイ♪

今回のラーメンのお店は”井出商店”。ラーメンブームの火付け役と言われ、横浜ラーメン博物館でも一番人気と言われる、ツワモノ。このラーメン博物館では1998年10月1日にオープンした井出商店は営業日数238日、わずか23席の店内で、食されたラーメンはトータル212,610杯。1日平均893杯。はたまた行列のできるなんちゃらというインスタントラーメンの一つは、この和歌山ラーメンの味を再現されていると言うではないか。和歌山では観光名所のひとつにまでなった「和歌山中華そば 井出商店」。その歴史は本店店主・井出紀夫さんの母つや子さんがはじめた屋台にまで遡ること約50年前。井出商店 創業者 井出つや子さんは、昭和28年、見よう見まねで覚えた中華そばを、屋台で売り始めた。創業当時、和歌山ラーメンの源流である、澄んだ醤油味のスープであったが、炊き込むうちにスープが濁ってしまい、その偶然濁ってしまったスープがマイルドなトンコツ醤油味を生み出し、現在の井出商店の味になった。らしい。

こんな数々の歴史と数字を持つ井出商店。もはや、一つのブランドとも言える。そんなに美味しいと言われたら、そりゃ生きてるうちに一度は食べてみたくもなるっしょ!ならば、行くしかないっしょ!だから言ったのさ。ラーメン一杯のために和歌山へ。はるばる、わざわざ。

和歌山駅に着いて、雨の中かなり小さな店構えだという井出商店を地図を頼りに探す。きょろきょろ。。地図を見るに、井出商店の向かい側にはファミレスのRoyal Host。どんなに小さくてもこれを目印に行けば必ず見つかる。私達は、とにかくRoyal Hostを探して歩き続けた。ロイホ。ロイホ。すると、道の向こうに見えたのは…

長蛇の列!!!

おぉぉ~これぞまさに、行列のできるなんちゃら。こんなにたくさんの人が法律相談に和歌山を訪れるわけはないので、これは確かに”行列のできるラーメン店”。行列だけで確信。店構えはロイホの10分の1くらいなのに、ロイホより目立つ。ロイホも商売上がったり。雨だけど行列ができててよかったぁ。さらに、美味しいラーメンであるという確信に近づいた。そして私達も、行列のできるラーメン店に便乗し、更なる行列を連ねる。外には超濃厚な豚骨醤油の香りが立ち込める。むんむん、ぷんぷん。

行列は長かったものの、着実にいいローテーションで前に進み(他人同士なのになかなかいいチームワーク。)、いよいよ中に入って待つことに。いざ、伝説の店に足を踏み入れてみると目の前に広がるのは、何とも狭い店内。12~3席ほどしかなく、うち2~3席は小さなちゃぶ台や、スペースの無いところに無理やり椅子を置いてみたというだけの席とは言えない席。屋台ラーメンさながら。皆、他人と肩を寄せ合いながらひしめき合って麺をすすっている。まさに狭き門。店員さんも客を座らせたり注文とったりで声のかけようがないほど大忙し。客も狭い店内でラーメンすするのに大忙し。そこはまさに戦場と化している。誰もしないとは思うが結婚式の二次会は絶対無理。ラーメン二次会をしたい方、井出商店はご遠慮ください。

waka そんな戦地で私達もようやく無理やり設けた席に腰をおろし、ラーメンを待つ。もちろん狭いのでバッグやコートを置くスペースもないので、荷物は身に着けたまま。そして、荒れ狂った戦場にいよいよラーメン登場。→→→

そうそう、これこれ。テレビでよくみる花形のかまぼこがのった濃厚豚骨スープにストレート麺。よ!待ってました~

雨、行列、戦場と押し寄せる難関と戦ってきてお腹もぺこぺこ。腹が減っては戦ができないので、さっそくラーメンをがっつく。戦場はあまりにも狭いので、コートは着たままショルダーバッグかついだまま、ラーメンをがっつく。私達はそのばたばたした店内で誰に言われたワケでもないが、急いでラーメンをかけこんだ。どうりで長蛇の列も進むのが早いわけだ。皆ローテーションがいいわけだ。さっさと食べ終わり、ホッと一息着くまもなく、戦場を潜り抜けトイレへ。『すいません。トイレお借りしたいんですけど。』『はい、こちらです。』

はい、トイレで~す!!

と、注文ばりの大声で案内されたのは、普通の民家に靴を脱いで上がり、普通の民家のトイレ。井出さん家のトイレ。隣の部屋には息子の井出君が漫画を読んで寝転がっている。おいおい、井出君。こんなに忙しいんだから店手伝いなよ。幸楽のえなりかずきを見習って、店を継ぎなよ。そうしたら赤木春江も文句は言わないよ。そんなことを思いつつ、用を足し、ゆっくりすることもなくお会計を済ませ戦場を逃れた。

カンカンカ~ン!!!!!

ラーメン一杯にknock out。さすがの食い倒れ大好きな私もカバンかついでがっついたラーメンには勝てなかった。あまりの店の狭さに疲れてしまい、和歌山の大地に足を踏み降ろして1時間弱。ラーメン一杯食べただけで私達はヘトヘトになってしまい、もぅ大阪に帰ろうかという話にまでなった。私の自慢のいかり肩もなで肩になりトボトボ和歌山駅に戻った。

しかし、ここで帰っては女が廃る…ワケでもないがもったいないので近くのデパ地下に行き、和歌山名物紀州梅を物色。幼い頃から、家族を代表する梅干好きで、一時期は梅干を食べ過ぎて吐き気を催し、梅干ストップ(Um. stop)がかかるほど食べたことがある私、おたみ。そんな梅干好きとしては腕が鳴る。よだれが出る。デパ地下ガールに舌がおかしくなるほどあれこれと試食させていただき、オミヤに決めたのは松竹梅ならぬ勝喜梅の”はちみつ甘仕立て(塩分約8%)”。梅干独特の酸味はあるものの、蜂蜜を使用されているため、その酸味がまろやかで、そのまま食べても良し、ご飯と食べても良しの逸品。ここが今、時は元禄、所が大奥ならば…

美味でございますぅ~

と、デパ地下の一角で殿にお叫び申し上げたくなるほどの美味でございます。種も大きく、最高級梅に感動し、2箱も買ってしまった。

こうしてラーメンを食べに和歌山に来たこともすっかりわすれ、梅の香りに疲れも癒され、紀州梅の余韻に浸りながら和歌山を後にした。

え?ラーメンの味??え~っと、食べることに必死すぎてあまり覚えていないというのが本当のところですが、ここ最近流行の”こだわりのなんちゃら岩塩使用!”とか”どこそこ産のなんちゃらチャーシュー、煮卵使用!”とかいう、自慢の食材は主張せず、昔ながらの普通の豚骨醤油ラーメンです。まぁ、何にせよ梅干がおいしかったです。

”普通”という素晴らしさを改めて感じさせてくれる最高の味。人は常に美味しいものを求めすぎて本来の味を忘れてしまう。普通という最高の味、普通という贅沢、私達はコレを忘れてはならない。

秘伝、伝わる美味しさ、伝わる至福、これぞ美味。

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2006年3月18日 (土)

館内放送

ぴんぽんぱんぽ~ん♪

本日も、おたみ日和をご愛顧いただきまして誠にありがとうございます。

さて、ここ最近、皆様の暖かいコメンツの数々にもあまりお返事が出来ず、おたみ日和をさぼり勝ちかとお思いになられているかと存じます。まぁ、何故言い訳にはなりますが、ここ最近、少々仕事がバタバタとしておりまして帰りも遅く、グレフル部部長のように『家帰って、飯食って、風呂入って、屁こいて寝る!』という生活が続いておりまして、週末ともなれば遊びほうけてネタだけがたまる…という日々でございます。故にネタの書き下ろしとコメンツの返事がまったく追いついていないというのが現状でございます。

しかしながら、皆様の暖かいコメンツに涙を浮かべながら、必ずコメンツもネタも書き込んでいく所存でございますので、どうかこれからもおたみ日和をよろしゅう申し上げ奉りて候。

そしてたぬきんつば様、あなたのコメンツが記念すべき100コメンツ目に書き込まれておりました。以上、お祝いの言葉と代えさせていただきます。

それでは皆様、今後もおたみ日和をどうかよろしくお願い申し上げ奉りて候。

ぱんぽんぴんぽ~ん♪カーン☆

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2006年3月16日 (木)

季節

芸術の秋、食欲の秋、夏は海や花火、冬はクリスマスや正月、バレンタイン、父健一の誕生日とイベントで目白目黒押し押し。

今年もこの季節がやってきた。出会いと別れの季節…春。

二月末日、私の会社の同僚、京都にお住まいのマドモアゼルが一年間の任務をなんとか終え、無事、円満退社を果した。マドモアゼルは公私共に私の大親友であり、マドモアゼルが会社からいなくなってから、なんともフ抜けてちょっぴり寂しげに影を背負いながら働いていた今日この頃…

3月11日、京都の奥地にある湯豆腐屋、”奥丹”にて、会社の同僚マドモアゼルの送別会がしめやかに行われた。なんでそんなところまで、わざわざ。私豆腐嫌いやし…

まぁ、そんな愚痴はさておき、会社の上司らも土曜日の昼間っから京都に呼びつけて、清水寺方面へ。湯豆腐送別会はマドモアゼルたっての願い。社内メールがめぐりめぐってお日柄もよく、あたたかな春の陽気に誘われて行ってまいりました。

風情漂うお庭が一望できる風情豊かな一室にて、イタリア旅行帰りのマドモアゼルを囲み、『え~皆様、こちらのお店は湯豆腐コースがお勧めでして、昔豆腐と今豆腐がございますが…』と、幹事。

昔豆腐?今豆腐??

昔豆腐とは何ぞや。竹のざるに笹の葉で包まれたような豆腐が土の中から出てくるのかしら。今豆腐とは何ぞや。スーパーの水切りのいいパックに入った豆腐を買い物帰りのおかんが持ってきてくれるのしら。古今東西、以心伝心、東西南北あれこれと、会社のまずい食堂くらいしか飯を共にしたことのない、不慣れなメンバーでギクシャク一応気を使いながら討論した結果、せっかくなので現代でも気軽に味わえるスーパーのパック豆腐より、タイムスリップでもしないと味わえない土の中のざる豆腐、昔豆腐をChoice。

あ~私、あんまり豆腐食べれないし、最悪豆腐とともに煮込まれた白菜でもつつくかな。と思い悩んでいると、土鍋登場。ふたをパカっと開けられ、浦島太郎のような湯煙の中から現れたのは豆腐のみ。おいおい、食べられますかいな。。猫舌、猫手、いかり肩の私は同じ鍋をつつく先輩が先に食べて少々さめるのを待つ。そして、まずは薬味やポン酢をかけず、そのまま一口。もぐもぐもぐ…吟味。少々硬めの木綿豆腐。私の苦手な豆腐独特の大豆の臭みもなく、意外と食べられる。ん~なかなかgood choice!その後は、薬味やポン酢をかけて、豆腐、ご飯、豆腐、ご飯、ご飯、豆腐、ご飯、豆腐、豆腐、豆腐…とひたすら豆腐料理を堪能した。

本日、この集いがマドモアゼルの送別会だということをすっかり忘れ、飲めや食えやで豆腐に没頭していた中盤、ようやく送別会らしく、皆それぞれに用意したプレゼントをマドモアゼルに手渡した。酒を飲んだ勢いでソニプラで買ったらしい、コーンフレークセット(別にマドモアゼルはそこまでコーンフレーク食動物なわけじゃない。)。ちょいと高級な中国茶、手紙入りの餞別、と色々ともらっていくマドモアゼル。私も一応用意していたが、帰りがけにこっそり渡そうと思っていた。しかし、こうも皆が皆次々と渡していくと、私もここで渡さぬわけにはいかぬ。そして、私が送ったのはコレ↓↓

20060310_2327_0000 結婚式ばりにド派手な祝儀袋に入れたのは一年間の感謝の気持ちを綴った手紙と百万円の札束ばりの厚みを演出した、せんべい2枚。皆の目は点 or ?。誰もこの意味が分かっていないご様子。一応、ウケを狙って、”せんべつせんべい”。せんべい2枚で、『煎餅・2枚→センベイ・ツー→センベ・ツー→餞別。』。ダジャレ好きの上司が気づいてくれてホロウは入れてくれたが、手ごたえはいまいち…スベッタ;

北風→寒い→私。

だから言ったのにぃ!あんまり、人前で披露できるほど大したもんじゃないし、中身より外見の方が高いし。マドモアゼルが家に帰って一人で開けて、ちびまる子ちゃんの野口さんのようにこっそり、クックック…と笑ってもらえればよかったのに。ていうかその方がよかったのにぃ;夜な夜な、祝儀袋に包みにくい分厚い煎餅を心込めて包んだのにぃ。もぉ~キーッ!!気持ちが納まらないので、もぅこの際、皆がこの私の高度なダジャレに着いてこれなかったと思い込むことにしよう。いや、そうに決まってる。結果オーライ♪

マドモアゼルは今年、友人の結婚式の祝儀にこの祝儀袋を再利用してくれるそうです。This is ecology。

湯豆腐をたらふく食べてお腹いっぱいになった後は、桜も紅葉もなく、殺風景なハゲ山が一望できる清水寺で自由行動。私はマドモアゼルのトイレ(大)待ちで時間をつぶした。そして、京都で有名なイノダコーヒーに行ったり、プチ社員旅行気分で京都の土産屋さんを散策。

こうして、よく食べ、よく歩いたマドモアゼルの日中送別会は無事終わった。

私は今の会社に入り、人間的にうまくいかないことが多々ありなかなか会社にもなじめずにいた。そんな私になんの疑いも無く、あたたかく接してくれたマドモアゼル。今、私がこうして気楽に会社の人とも付き合えるようになったのは彼女が間に入り、たくさんの悩み事を聞いてくれたおかげ。マドモアゼルには感謝してもしきれないくらい、感謝の念でいっぱいです。たった一年だったけど、楽しい時間をありがとう。よき友よ。

これから私達は別々の道を歩き出す。さよならは言いません。離れていても励まし合い、お互いの夢に向かって力強く歩もうではないか。遠回りしても、曲がり道を通っても、自分は自分。寂しいけど桜が咲いたら新しい出会いの季節。お互いまたいい人と出会えますように。いつでも前向きに…

サクラ咲ケ♪

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2006年3月 9日 (木)

一休

ははうえさま お元気ですか
ゆうべ杉のこずえで
あかるくひかる星ひとつみつけました
星はみつめます ははうえのようにとても優しく
わたしは星にはなします
くじけませんよ 男の子です
さびしくなったら はなしにきますね いつかたぶん
それではまた おたよりします
ははうえさま  いっきゅう

20051223_2224_0000 今日は母上様の誕生日。こんな一途な手紙なんて送ってないし、実をいうと危うく忘れかけており、会社帰りに行ったライブハウスから、ライブ中にメールを送った。そのメールもかなり適当で、『お誕生日おめでとう!そろそろ51歳かしら?節分の豆もいっぱい食べれるわねぇ。食べ過ぎてピーピーにならないように気をつけて。五十肩をお父さんにでも揉んでもらってね♪』と。52歳になったらしい。

しかし、めでたいことには変わりない!ということで勝手に祝ってやれ!ということで、今日も父の誕生日(2005年12月23日参照)と同様、勝手にケーキ買って、一人で食べました。そう。今日もまた、no reason!あまりのおいしさに、母が誕生日だということをすっかり忘れてペロリ。食べ終わってから。そういえば今日は母の誕生日だからケーキを買ったのだったと思い出し、片付けながら心の中でHappy Birthday to you♪

3月9日、母の誕生日は毎年家族からも忘れられがちである。私も母だけはあまりにも覚えられないので”3月9日は3×3=9(サザンガク)”と、高校のときにようやく覚えた。父は12月23日と、天皇誕生日で祝日ということもあり、日本国民誰もが忘れることの出来ない誕生日なのだが、母は出会いと別れの季節で何かと忙しい季節ということもあり、ニントモカントモ、さっぱり過ぎてしまうのである。

ある年は、すっかり父が忘れていた為、私が『そういえば今日ってお母さん誕生日じゃない?』と我ながらナイストス。父は慌てて母が好きなケーキ屋さんで2、3日じゃ食べきれないほどのケーキを買ってきた。父は甘いものが苦手なので、結局私と母と二人でひーひー言いながらたいらげた。またある年は、私は金欠だった為、3足1000円の靴下を2足贈った。はたまたある年は私のバイト先で売っていた服を贈った。意外と気に入ったようで、母の短い腕には少々袖が長く、折り返して着ていたのだが、洗濯好きが功を相したのか、どうなのか、洗濯をしすぎて袖がびろびろに伸びて、母の短い腕では手に負えなくなり一年もせず着れなくなった。ちーん。

大したものは贈ってないし、大した誕生日も送ってない。それでも、娘から誕生日に車のタイヤの請求書を贈りつけられる父の誕生日よりはシアワセだと感じていただこう。

ちなみに、母の誕生日、3月9日はとんねるずの木梨憲武と同じ。昔、『お母さんの誕生日はとんねるずのどっちかと同じらしいよ。タカさんかな??』と家族で話題にしたとき、俄然タカさん嫌いな母はひどくショックを受けて、自分の誕生日を憎んだ。しかし、先日ネットで調べてみたところ、ノリさんだと判明。母上様、ご安心を。さらにちなみに私の誕生日はマリリンモンロー、千代の富士、柔道の山下と、角界の有名人が同じ誕生日として名を挙げる中、つまみ枝豆も同じだとか。微妙!

母の天日干ししたような天然な性格は2006年2月5日を参照していただければ、お分かりの通り。先日は私のクレジットの利用明細に”パーマネントエイジ”という服屋さんの名前が書いてあった為、『あんた、パーマでもかけたの?』と電話してきた。

そんな母だが、主婦という職業に関しては一目おく存在である。毎日朝から一休さんばりに家中の雑巾がけ。これには新右衛門さんもびっくり。さよちゃんも仰天。朝5時に起きて、洗濯を白いものと色物と分けて2回。家中の部屋という部屋、廊下という廊下を掃除機かけて冷たい水で雑巾がけ。家中の窓という窓を拭いて、風呂もトイレももちろん毎日掃除する。一日が終わると、夕食後には必ず居間と台所を掃除機。毎日年末の大掃除さながら。あーだこーだと文句を言いながらばたばた掃除し静かになったと思ったら、山に向かって手を合わせて拝む。ちーん。そして、またひたすらばたばた掃除を始める。最近は家の近所の神社に出来たトイレにも毎日ボランティアで掃除に行くとか行かないとか。まさに一休さんさながら。そのうち、さよちゃんに…

 (一休さーん)(はーい)
好き好き好き好き好き好き 愛してる
好き好き好き好き好き好き 一休さん♪

と熱烈な愛の告白を受けるに違いない。

いつでも一生懸命で、精一杯私達を育ててくれた。家族7人の食事を作り、父の仕事を手伝い、家事も完璧。

私は幼稚園の卒園式で皆が将来の夢を花屋さんだケーキ屋さんだと大きな声で発表していく中、私は『大きくなったらお母さんになりたい!』と言った。その当時はもっと皆のようにかわいい職業を夢とするべきだったと6歳にして後悔していたが、今思い返せば、23年間、時には厳しく、時には涙を見せて、時には明るく励ましてくれた。今、この夢はあながち間違ってはいない。母のように、強く、逞しく、優しく人を愛せるようになりたい。

私がいらなくなって実家に送ったBetty's Blueのニットをそれがどんなブランドなのかも知らず着ている母、初美。たまには雑巾がけもしないで、若い頃のようにおしゃれして、人生を楽しんでほしい。これからは何事も程々が一番よ。

お母さん、一休み。一休み。

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